【包丁を学ぶ・番外編】いくつ知ってる? 包丁の産地

包丁の産地

以前ご紹介した、包丁を知るためのシリーズ記事「包丁を学ぶ」。
皆様にご好評いただき、今回新たに番外編として、
包丁にまつわるお話を再びご紹介することになりました。

今回のお題は「包丁の産地」。

よく巷で「○○で作られた包丁は良い」と耳にしませんか?
包丁の産地は全国津々浦々あれど、
長い歴史を持ち、古くから生産が盛んな土地というのは限られます。

そこで、有名な日本の包丁の産地について調べてみました。
それぞれ包丁づくりに関して興味深い歴史を持つ土地ばかりです。

「〇〇で作られた包丁」という謳い文句に心惹かれた経験をお持ちの方、
産地について詳しくなれば、「これだ!」という一生モノの包丁を選ぶ際の
ちょっとした手掛かりになるかも?しれません。

包丁アイコン包丁の産地

新潟・燕三条 ― 和釘づくりから始まった、鍛冶のまち

燕三条

新潟県の燕三条といえば、鍛冶のまち。
県央に位置し、西に燕市、東に三条市と隣り合うエリアです。

金物で有名なこの地ですが、その優れた鍛冶技術と高い品質は
日本にとどまらず、世界でも有名です。

歴史

この地の刃物づくりの系譜は、江戸時代に遡ります。
江戸初期より「和釘(わくぎ)」づくりの地として栄えてきました。

寛永時代の初め、三条の町の中心地を流れる五十嵐川の度重なる氾濫により、
農民たちは農業だけで生計を立てていくことが困難に。
そこで、江戸から和釘づくりの職人を招き、農民たちにその製造技術を
教えてもらうことによって、この地で和釘の生産が始まります。

その後新しい鍛冶技術が伝わり、
和釘から鎌や包丁などへ製造物も移り変わっていきます。

同時に、伝承の技を受け継いだ鍛冶職人が育まれ、
和釘の時代には農民の副業として始まった鍛冶業も
専業鍛冶として成り立っていくようになります。

燕三条

明治に入ると鍛治の専業者が急増。
それに伴い、河川を活かして商人が金物商品の商いをはじめ、
「鍛冶のまち、燕三条」が世に知られていくようになります。

戦後は金型の導入により、製品の量産化が進み、
三条でつくられた商品は国内に広く流通するだけでなく、
国外にも出ていくようになりました。

現在三条の町には、金属加工を主としたメーカーが多く集います。
利器工匠具、作業工具から、包丁などのキッチングッズ、食器などのほか、
リビング用品、園芸用品などが幅広く生産されています。

特徴

切れ味に一言ある包丁が多く、その製造工程は、
鍛造、火造り、刃付け、研ぎ、焼入れ、焼戻しなど多岐にわたります。
材質にもよりますが、職人たちが各工程で手作業で一本一本仕上げる包丁も。

燕三条

一方で、切れ味と耐久性のバランスを追求し、
家庭用に使いやすい包丁をメインに生産する包丁メーカーも多くあります。

包丁は切れ味ばかりに目がいきがちですが、
お手入れのしやすさやコストパフォーマンスの良さなども重要なポイント。

燕三条には国内外で有名な包丁メーカーが多く集っており、
なかには人気のため生産が追い付かず、
届くまで1~2年もかかる超人気包丁もあるそうです。

燕三条でつくられた包丁

岐阜県・関市 ― 数々の名刀を生んだ、世界三大刃物の産地

関市

岐阜県・関市は古くより、「関伝」と呼ばれる日本刀の独自の鍛刀法を開発し、
多くの名刀を生み出してきました。

歴史

遡るは鎌倉時代、刀祖「元重」が関に移り住み、刀鍛冶を始めたといわれています。
元来関には良質の焼刃土、松炭が豊富にあり、
さらに長良川と津保川の清廉な水に恵まれ、
刀鍛冶にとって理想的な土地であったようです。

その後この地には次々と優秀な刀匠が集まるように。

室町時代には刀匠が300人を超え、「折れず、曲がらず、よく切れる」と
いわれた関の刀は、その名を全国に広めていきます。
戦国時代の戦乱の世にも関では「関の孫六」をはじめとする数々の名刀が生まれ、
その比類ない切れ味は多くの武将に愛用されたとか。

関市

その後も関は名刀の産地として繁栄し、この地で生まれ、700有余年かけて育まれた
卓越した伝統技術が現代の刀匠や刃物産業に受け継がれています。

現在では、世界三大刃物の産地にも数えられ、
数々の包丁メーカーが軒を並べる刃物処として有名です。

特徴

関で生産される刃物は、もともと質の良い、純鉄製の鋼(はがね)の素材を
使用したものが多いと言われています。
古くからのこの純鉄製の鋼は日本刀に使用されてきました。

しかし鋼は切れ味は抜群ながら、炭素が多く含まれるため錆びやすく、
ご家庭で使う際にはお手入れをマメに行う必要があります。

近年関市では、時代のニーズに即し、私たちの生活に寄り添う
多種多様な商品開発を積極的に行う包丁メーカーが多くなりました。

伝統技術に現代感覚を盛り込み、数多くの新製品を生み出しながら、
世界に通用する刃物づくりを行っています。

参考:関市観光協会HPほか

関でつくられた包丁

大阪府・堺市 ― 料理人が愛する包丁、堺打刃物

堺市

大阪にも刃物の名産地があります。
堺市や大阪市を中心としたエリアで作られている、
「堺打刃物(さかいうちはもの)」呼ばれる刃物です。

歴史

この地には日本最大規模の古墳「仁徳天皇陵」をはじめ、数々の古墳がありますが、
造営された古墳時代には大規模な土木工事が行われたと考えられています。

古墳の造営時には、土木工事に必要なクワやスキなどの工具が
たくさん製造されました。
その職人たちがその後も堺の地に集落をつくって住みつき、
鍛冶の技術が発展していくようになったと
言われています。

天文12年(1543年)ポルトガル人によって鉄砲やたばこが伝来した際には、
堺打刃物の技術が活かされ、戦国時代に入ると堺は鉄砲の産地としても
名を馳せるようになりました。

その後戦乱の世の終焉に伴い、鉄砲の需要は減少。
天正の時代になると、代わりに喫煙の流行により、
たばこの葉を刻む「たばこ包丁」が堺で作られるようになります。

江戸時代には徳川幕府が「堺極(さかいきわめ)」という名の印を
附して専売するように。
これにより、堺打刃物の名は全国各地へと広がりました。

その後も優れた刃物づくりの技はこの地の職人たちに脈々と受け継がれ、
現在に至るまで、プロの料理人が使う数々の切れ味鋭い包丁が生産されています。

堺で作られるプロが使う業務用包丁のシェアは、なと90%以上!
その割合の高さからも、切れ味と品質にこだわる本格包丁を作り続ける
堺打刃物の職人たちの誇りとそこへ寄せる料理人たちの信頼が感じられます。

特徴

堺打刃物は、切れ味と耐久性を兼ね備えるために、
地金(軟鉄)と刃金(鋼)の2つの異なる材料を接着させて作られます。

地金となる鉄は非常に軟らかく、刃先の部分に使われる鋼は、
炭素の含有量が多い鋼で、焼入れをした際に非常に硬度が高くなります。

この2種類の材質を合わせ、火造りしながら叩き、
なじませていきながら包丁の形に整えていきます。

このように、刃先は硬く他の部分は軟らかい材質を使うことで、
折れず、曲がらず、抜群に良く切れる包丁が出来上がります。

堺打刃物の特長は、なんといってもとにかく鋭い「切れ味」。
伝承の技を受け継いだ熟練の職人たちによる鍛造と、
研ぎの技術によって生み出されます。

板前さんの包丁は、ほとんどが堺打刃物とも言われているほど
その切れ味には定評があります。

参考:堺刃物商工業協同組合連合会HPほか

鹿児島県・種子島 ― 鉄砲鍛冶から生まれた、種子包丁

種子島

歴史

1543年ポルトガル人によって種子島に鉄砲が持ち込まれて以来、
この地では火縄銃の製造が栄え、「鉄砲鍛冶」と呼ばれる鍛冶技術が発展しました。

その後時代の変遷とともに、つくるものは家庭で使われる「鋏」や「包丁」に
かたちを変え、その鍛冶技術は今に至るまで種子島の鍛冶職人たちに
連綿と受け継がれています。

現在、「種子鋏」「種子包丁」と呼ばれる品々は、
鹿児島県から「伝統工芸品」に指定され、
種子島の名産品として高い評価を受けています。

種子島

特徴

「種子包丁」は、通常熱した鉄を丹念に一本一本手打ちし、
時間をかけて鍛造されます。

その特長はなんといってもその切れ味の鋭さ。
種子島伝承の鍛冶技術によって生み出された薄刃は繊細で、
驚くほど軽快に切れます。

プロの料理人や料理研究家の方々からの評価が高いのも納得の
切れ味です。

本種子包丁

今は鍛造できる職人の数が少なくなってきており、
生産本数が限られる「種子包丁」。

包丁専門店でもなかなかお目にかかることはできず、
入手が難しいと言われています。

種子島でつくられた包丁

今回は「包丁を学ぶ・番外編」として、包丁の産地で有名な地を
ご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。

それぞれの場所に、現在の包丁づくりに至る系譜となる歴史が
存在していましたよね。

やはり、包丁づくりは一朝一夕ではできないもの。
職人の方々が先代から受け継いできた伝承の技や、
ノウハウが必要なんだなと改めて感じました。

包丁にまつわるちょっとした知識として皆様のお役に立てましたら幸いです。

なお、「包丁を学ぶ」全4回の記事も下のリンクから読むことができます。
もし宜しければご覧ください!

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この記事を書いた人

商品ページ・コーディング、いろいろ担当。趣味は山登りとサイクリング。
生意気盛りの小学生の息子を相手に日々アクティブに過ごしています。